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小泉ひろか
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■略歴
1974年9月2日生まれ
1993年、仙台育英学園卒業
1998年、明治大学中退
1999年、株式会社サイバード入社
2004年、株式会社サイバード退社
同年、有限会社K sound design創業、代表取締役社長就任
2008年、株式会社K sound design、取締役会長就任、現任


■職歴
1999年、株式会社サイバード入社。ウェブマスタ、コールセンター立ち上げ、モバイルコンテンツプロデューサーなど経験

2004年、モバイルコンテンツの制作会社を地元仙台で立ち上げ、創業期売上3千万、第3期売上9千万、第4期売上1億2千万

2007年6月、MWの開発を開始、7月13日、MWをリリース

2009年、MW、会員20万人、月間8000万PV突破。

2010年2月、MW(本家、mixi、モバゲー版)、総会員50万人突破


■受賞歴
1993年、週刊ビッグコミックスピリッツ新人賞入賞

■経験分野
経営、ビジネスモデル構築、企画制作、ディレクション、サイトデザイン、イラスト制作、音楽制作、メルマガライター、スーパーバイザー、コールセンターオペレータ、システムエンジニア、プログラマ等。得意技はユーザいじり。

■夢
オープンソースのモバイルコンテンツの立ち上げ。コンテンツへの誇りと愛情で、世界中の人がコミットし成長するモバイルコンテンツの作者。モバイルコンテンツのリーナス・トーバルズになりたい。

■連絡先
hiroka.com@gmail.com


■自己紹介


私は昔から、コンテンツをつくることが、大好きでした。



5歳の頃、インドネシアに住んでいましたが、日本のマンガが大好きでした。
早く日本に帰りたくて、マンガを描き始めました。
最初の熱心な読者は、弟でした。



8歳の頃には、単行本と同じサイズの紙に、びっしりコマ割りをして、読者投稿コーナーや、すごろくのおまけもつけて、200ページの本を3冊描いていました。



学校のマンガ部は、イラストを描いてばかりなのに退屈して、自分でマンガ好きな友だちを20人ほど集めて、マンガクラブをつくりました。



マンガのイメージは、いつも弟にお話をして聞かせていた、「ことばアドベンチャー」が元になっています。



ことばアドベンチャーは、ゲームブックのように、お話のなかで分岐点があって、
どちらの道を選ぶかでその後のお話が変わるという、参加型のゲームです。



弟に分岐点を選ばせて、その後のお話を即興で考えて、お話して聞かせるという遊びを、小学生の頃、よくやっていました。



チョロQが流行ったら、友だちを集めてチョロQ大会を開催しました。
ラジコンが流行ったら、ラジコン大会。
特に何もなければ、ボールを転がして競い合うゲームを考えたり、ブランコに乗りながら靴を飛ばす、なんてこともゲームにして、いつもみんなと遊んでました。



特にファミコンが流行した頃は、エディット(自分でゲームをデザインする機能)のあるゲームは、ひととおり買って、やりこみました。
方眼紙ノート3冊ほど自分でデザインして、弟や友だちにやらせていました。



マイコンが流行ったら、BASICでプログラムもやりました。
当時はカセットテープにゲームを保存したのが、懐かしい思い出です。



中学生になると、みんなはスポーツや勉強や恋に、熱心になっていくなかで、私は変わらず、、、



それまでB5の紙に、鉛筆で描いていたマンガは、B4の原稿用紙になり、ペン入れを始めて、スクリーントーンを使いはじめました。



ゲームもだんだん高度になり、テーブルトークが流行ったので、ゲームマスターをやってみましたが、既存のストーリーをなぞる展開に満足できず、オリジナルのストーリーを考え、アイテムも自分で絵を描いていたら、音楽もオリジナルが欲しくなりました。
ピアノを習っていましたが、作曲は独学でした。



高校生になると、マンガの投稿を始めます。
少年週刊誌の新人賞で名前が載るようになりました。
バンドを組んでライブ活動も始めました。
オーディションも受け始めました。
そんななかで、チャンスをつかむには、やっぱり上京しなきゃいけないかなと思い、東京の大学を目指すようになります。



19歳のときマンガの新人賞に入賞。
受験も合格したので、東京に移住します。



モデルのアルバイトをしながら、オーディションを受けて、マンガの持込みをして、ライブ活動をして、と、チャンスを探していましたが、1996年にインターネットに出会います。



それからアルバイトをしながら、ネットでチャンスを探す日々でした。
いつもパソコンに触っていられるという理由で、選んだアルバイト先が、サイバードでした。



会社に惚れこんで社員になって、2年後に上場します。
4年後に六本木ヒルズに移転します。
夢中で過ごした5年間で燃え尽きて、地元に戻って起業します。



モバイルの急成長は、いずれ地方を必要とするはずだ。
今のうちに、モバイルで地域貢献できる会社をつくろう。
そんな思いをもって仙台で立ち上げた会社は、4年間で成長しました。



さて、モバイルコンテンツは、もともと日本で産声をあげました。
その後、日本の世界展開は失敗が続き、今は、世界からの影響を受ける状況が続いているようです。



このままでは、「モバイルコンテンツは日本が発祥の地」の、誇りが失われてしまうのではないか。
なんとか出来ないか考えました。
そこで出てきた言葉が、モバコンです。



モバコンは、モバイルコンテンツの略です。
同時に、日本のモバイルコンテンツが、世界に展開して大成功、をイメージさせる言葉です。
日本人は、自分が好きなものを、なんでも略して呼ぶでしょう?



モバコンつくりに集中したくて、まる4年務めた社長を、共同創業者の弟に代わってもらって、2008年から、私は会長になりました。



みんなに長く愛されるモバコンを、たくさん生み出したいな、という願いをこめて、モバコンランドの更新は続きます。




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ひろか拝